2010年8月26日木曜日

日本観光は、中国人客にリスクが大きい?

今朝の朝日新聞サイトによりますと、中国の旅行会社にだまされた!という中国人観光客が少なくないようです。日本への団体ツアーでの話です。

日本のホテルや観光地で私たち日本の側がいくらがんばっても、ツアーに申し込んだ時と話が違う!というようなケースがあるというんですね。

例えば、ツアー料金とは別にお金がかかるオプションツアーが、さもツアー料金に含まれているかのように思い込まされていた!というようなことです。

また、日本で神戸牛のディナーが食べられると聞いていたのに、中国人専用レストランに隔離されたようになって、普通の中華バイキングを食べさせられたということがあったり、秋葉原で家電品の買い物ができるはずだったのに、早朝出発のため家電品店は開店前で、中国人団体客専用の店で買わざるをえなかったり・・・といったことが紹介されています。

ツアーガイドは、お店からのマージンで生計を立てていたますので、普通の家電品店では儲かりませんから、できればツアー客を話のついている店に連れていきたいというわけです。まあそれ自体は普通にあることですので問題にはなりませんが、行き過ぎがあるとツアー客は気分を害します。

こういったことは、受け入れる側の私たち日本人にはどうにもならないことだったりします。

そこで、日本の旅行会社が品質重視のツアーを中国向けに販売するということが始まろうとしています。まだいろいろと障壁があることでしょうから、簡単にはいかないと予想されますが、日本の旅行会社にもがんばってもらいたいところです。

2010年8月12日木曜日

本当の正義って? 〜 民族対立の話 〜

よくありがちな普通の民族対立が日本にもあります。

最近では、「在日特権を許さない市民の会」とかいうグループが1万人も会員を集めて、京都の朝鮮学校を攻撃したんだそうです。

アドマックのすぐそばにも朝鮮学校はありますから、とても他人事ではありません。そこでちょっと冷静に考えてみましょう。

日本にある民族対立の代表といっていいのがこの、明治以前から日本人だった普通の日本人と、戦前戦後を通して日本の本土に住むようになった在日韓国人(北韓国を含む)との対立です。

民族を無視して政治的に国境線を引いたのが日本と、併合当時の韓国政権です。

日本の領土としての韓半島から「内地(日本の本土)」に「国内移動」したのが南北の韓国民族です。

戦前の力関係では日本民族が韓国民族に優越しましたが、戦後は逆転しました。
(どちらもアメリカ支配下に入りましたが、韓国は自分たちを敗戦した側とは考えていないためです。)

「相手に非があれば、それだけが全面的に悪い。だからそれをあらゆる手段で攻撃することは全て正しいこと。」
というのは野蛮な感情主義であって、理性的な行動ではありません。

実力行使が得意な「正義の味方」も一見かっこいいかもしれませんが、それは法律がろくにないような未開社会に限っての話でしょう。

法治社会では感情を排した議論と法的な手続きこそ重要です。

「在日特権を許さない」といっているのもつまり、法治社会であるはずの日本で、民族差別で憂さを晴らす人たちでしょう。しかし、もし国際社会からそういうのが日本人のメンタリティーとでも思われたら国益を大きく損ねます。
「日本の国益を!」と叫びながら、自分たちこそが国益を損ねる張本人なわけです。

ウヨクでもサヨクでも、要するに感情的に行動することは恥ずかしいことですね。

なによりも、そんな「思想」と無縁な普通の日本人、普通の韓国人は、互いを必要とする時代になっています。

お互いに尊敬し合い、感謝し合うことができています。人間として、正しい姿勢というのは、感謝と尊敬の関係に向かうことでしょう。

それこそが正義だという認識を共有したいものですね。

2010年8月10日火曜日

きょう、韓国併合100年の首相談話

談話では、1995年の「村山談話」を踏襲し、韓国への植民地支配に対して「多大な損害と苦痛に対して、改めて痛切な反省とおわびを申し上げる」と表明する。村山談話は「アジア諸国の人々」を対象としており、韓国のみを対象とする談話は今回が初めてとなる。

また、韓国側の心情に配慮し、「併合された側、痛みを覚える側の気持ちを決して忘れてはいけない」「(併合は)韓国の人々にとって、国を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられたことだった」といった表現も盛り込む。 (2010年8月10日3時0分 朝日新聞)



1965年の日韓基本条約を最大限に重視して、戦後賠償の問題は再び議論しないという基本姿勢(韓国側にも約束を守ってもらうこと)を堅持しつつ、韓国の国民感情に最大限配慮して、いわば「日本人は二度と上から目線をしません。」という反省と謝罪を行うというのが、今回の首相談話になるはずです。

そのような趣旨であればまさに未来志向ですから、当然評価すべき「反省と謝罪」なのですが、こうした談話にまだ批判的な人たちも少なくないようで、それでは韓国の国民感情というものをまったく理解していない、理解するつもりもないということだとしか考えられません。

もちろん韓国側にも問題はあります。たとえば、政治的に作られた歴史を国民が信じ込んでいるといった問題です。しかしそれを指摘すれば、日本の皇室伝統も逆に指摘されなければならなくなってしまい、日本も韓国も、それぞれの国家を成立させている「物語」を互いに攻撃し合うことにもなってしまいます。

歴史とは、近代文明のもたらした「歴史学」だけではないというのが現実です。中国文明の伝統でいえば「正史」こそが歴史であり、正史とは、国家を安泰に保つための方策のひとつとして、常に必要なものであり続けてきたものです。その上に立って、日本には皇室があり、韓国には反日的な政治思想がありますから、お互い容易に否定できるものではありません。韓国の反日的な思想をやめさせるためには、日本みずからがまず、皇室をはっきりと人間臭いものに改める必要が出てきます。しかしそれはまだまだ無理なことでしょう。

歴史学として見れば、イエス・キリストが実在しなかったということをキリスト教徒に認めさせるのが無理であるように、この世界には、事実と違っても改めることのできないことがいろいろとあるのです。

(2010年8月10日 午前9時記)

2010年8月3日火曜日

日本的な性善説は外国人に通じるでしょうか?

日本は性善説だとよく言われます。
日本人は性善説で生きているから人を疑わないということです。
確かにそれはあるようですが、だから日本人は善良だという結論が出せるのは、当の日本人である私たちだけです。

つまりこういうことです。

性善説だから、相手を罵ってもそれは相手のためを思ってのことという解釈ができます。一見ひどいバッシングであっても、決して悪気はないという解釈です。

「先生に怒られた。でもそれは自分をもっと立派に育てようとしてくれているからだ。感謝しなくてはならない。」

「友だちが大勢でぼくをいじめた。ぼくはそれでも友だちに感謝している。みんなでダメな僕を鍛えてくれるんだ。」

こんな考え方ができてしまうのが性善説です。
しかしこれは、そのような性善説を共有していない人々には理解できないことです。


日本人「ちょっとあなた! そんなことしちゃだめじゃないですか!」
外国人「いきなり何を怒っているのか! 私を差別するのか! 私はあなたを許さない!」

こんな風に、オオゴトになってしまいます。