2010年6月28日月曜日
日本の総理大臣 in G8 サミット
菅直人日本国内閣総理大臣がカナダでおこなわれたG8サミットに出席、外交手腕を期待されるところだったんですが、菅さん自身も認める通り、外交にはまるで自信がないようで、総理大臣としては珍しく英語もまるでできないようです。
このビデオは各国首脳の輪の中に入ろうとすべき様子を伝えていますが、ああ…と嘆きたくなるような悲しい雰囲気です。
私たち一般庶民は外国語などできなくても、十分立派に生きていくことができますが、外国の要人との交友関係が必須となる職業の人が、このように英語もできないというのでは困ります。
英語、英語と、うるさいんだよ。外国人にだって日本語をしゃべらせればいいだろう!
日本人としてはそんな気持ちにもなりますが、現実は現実です。自分の立場を正当化するために無理を言っても始まりません。
日本にいて、海外からの来客をもてなすだけでしたら、もちろんここは日本ですから、向こうから通訳を連れてくるなりしてくれればいいんでしょうけど、それもかなわないという状況では、なんとかしてお客様と意思の疎通ができるような方法も考えないといけません。
特に、海外からのお客様の使ってくれるお金で、ある程度の利益をあげてやろうという話になりますと、お客様の言語もできた方がいいに決まっています。
とても参考になって関心するのは韓国です。統計資料はありませんが、ソウルのホテルには、日本語ができるスタッフの数がとても多いようです。それも、日本語ができる特別のスタッフというのではなく、ホテルで接客するのだから当然日本語はできることが望ましいとばかりに、あの人この人、本当に日本語が上手です。
経済的な力関係というのがあるのは否定できませんが、これが日本になると、韓国語のできる日本人スタッフというのは、ほとんどいないのではないでしょうか。
そこで韓国人を雇ったり、中国人を雇ったりすることになりますが、もし英語だけなら、対応できる日本人スタッフも少なくありません。
しかし時代は21世紀、韓国も中国も台湾も、経済的に豊かな人が増えてきて、日本に旅行に来る人がずっと増え続けています。いくら英語ができても、韓国人や中国人には英語のできない人が多いですから、ホテルで働くために英語を役立てようと思っても、実地に必要なのは中国語や韓国語だということになってきます。英語が役に立たないケースが増えているんです。
G8サミットも、各国首脳が交わしているのはほとんど英語でしょう。落ちぶれてきたとはいえ、まだまだアメリカ大統領が主役ですから、アメリカ英語とイギリス英語が入り交じって、フランスのサルコジ大統領、ドイツのメルケル首相、ロシアのメドベージェフ大統領なんかも英語で談笑しています。
その輪の中に入れないとなりますと、次に役立ちそうなのはフランス語でしょうか。日本語は完全に孤立してしまいます。日本の総理大臣以外に話せる人がいないからです。
もしこれが、中国、韓国、タイ、インドネシア、インドなど、アジアの国々の集まりだったとしてもやっぱり共通語は英語でしょう。憎らしくなりますが、まだまだそういう現実です。
でもこの現実も、あと十年、二十年するとどうなるかわかりません。英語以外の簡単な言語を、という時代になるとすれば、英語よりさらに簡単な中国語が共通語になってくる可能性が十分あると思います。
中国語はなにしろ人口の多さが半端ではありません。
中国、台湾だけでなく、あのリッチな国、シンガポールでもかなり通じます。ベトナムやタイなど、シナチベット系の言語が母語なら、中国語の習得はもちろん簡単ですし、東南アジア全域にとどまらず、中国系の住民は世界中に住んでいます。まったく別系統の日本語や韓国語でも、文法らしい文法のほとんどない中国語なら、数か月もあれば少しはしゃべれるようになるでしょう。
外国語は苦手! 無理! やる気もない!
そう開き直って全然問題なしという職業が多いのも確かですが、もしこれから14億の中国人と何らかの関わりをもちそうだと思われる方は、ぜひ中国語の勉強もしてみてください。おすすめです。
2010年6月24日木曜日
日本人がカメルーンやデンマークを応援
2002年FIFAワールドカップでの縁がもとで、大分の方にはカメルーン、和歌山にはデンマークを応援する人たちがいます。
今開催中のワールドカップでは、グループリーグで日本はカメルーンに勝利しました。明日の未明には、決勝トーナメント進出をかけて、日本代表チームはデンマークと対戦します。
日本人なら日本チームを応援して当たり前! 応援しなければならないはず! 敵国を応援するなんてあり得ない!!
そんなふうに鼻息の荒い人もいるかと思いますが、実際のところ、韓国の人たちとサッカーの話をして、「日本はデンマークに負けると思うよ。」なんて言いますと、「日本人なんだからそんなこと言ってはだめでしょう?」と窘められたりします。
おそらく韓国では、敵国チームが勝つだろうなんてことは、非常に言いにくい空気が流れてるんでしょうね。自国を応援しない者は非国民だというような、愛国的な空気が溢れていることと思います。
日本といっしょに2002年を共催した韓国では、日本のようにカメルーンやデンマークを応援する、なんてことがあるんでしょうか? おそらくないんじゃないかと思います。
愛国心というのは、決して非難されるものでもなんでもなくて、自分の国を大事に思うことなんですからけっこうなことだと思いますが、いわゆる言論封殺というか、言葉狩りといったものが出てくるところには、怪しげな空気が漂うものです。
その怪しげな空気には気を付けたいものだと思います。
今開催中のワールドカップでは、グループリーグで日本はカメルーンに勝利しました。明日の未明には、決勝トーナメント進出をかけて、日本代表チームはデンマークと対戦します。
日本人なら日本チームを応援して当たり前! 応援しなければならないはず! 敵国を応援するなんてあり得ない!!
そんなふうに鼻息の荒い人もいるかと思いますが、実際のところ、韓国の人たちとサッカーの話をして、「日本はデンマークに負けると思うよ。」なんて言いますと、「日本人なんだからそんなこと言ってはだめでしょう?」と窘められたりします。
おそらく韓国では、敵国チームが勝つだろうなんてことは、非常に言いにくい空気が流れてるんでしょうね。自国を応援しない者は非国民だというような、愛国的な空気が溢れていることと思います。
日本といっしょに2002年を共催した韓国では、日本のようにカメルーンやデンマークを応援する、なんてことがあるんでしょうか? おそらくないんじゃないかと思います。
愛国心というのは、決して非難されるものでもなんでもなくて、自分の国を大事に思うことなんですからけっこうなことだと思いますが、いわゆる言論封殺というか、言葉狩りといったものが出てくるところには、怪しげな空気が漂うものです。
その怪しげな空気には気を付けたいものだと思います。
ラベル:
スポーツ
2010年6月20日日曜日
日本が理解され始めています。
<W杯>中国人が日本代表を応援する理由とは?
日本のマナーが中国を変えた — シンガポール華字紙
日本のマナーが中国を変えた — シンガポール華字紙
2010 年6月16日、シンガポール華字紙・聯合早報は記事「中国人が日本サッカーを応援するのには理由がある」を掲載した。以下はその抄訳。
スポーツは平和、友好の象徴であり、国と国との架け橋だ。しかし、日中間には靖国参拝、尖閣諸島、遺留化学兵器、日中戦争の民間人賠償などの問題が山積みで、中国人は強い反日意識を持ち続けている。思い出されるのが2004年に中国で開催されたアジアカップ。中国人は日本代表を罵倒し続け、果ては「大刀で鬼子(外国人、とりわけ日本人への蔑称)の首を切り落とせ」などと叫ぶ始末。スポーツ精神と汚し自らのイメージをおとしめてしまった。
2008年の北京五輪、日本対オランダ戦。スタジアムはまるでオランダのホームのようだった。中国人観客は日本に容赦ないブーイングを浴びせた。ところがどうだろう。試合後、日本代表の選手たちはたった1回の拍手も声援も送ることがなかった中国人観客の前に整列し、深々と一礼した。一部の中国人観客の粗野な態度が目に付いただけに、日本代表の素晴らしい態度が鮮明となった。さらに日本の各界が全力で北京五輪を支えたことは中国国民の胸をうった。
そして日本のマナーに触れて、中国も変わり始めている。ある中国メディアは「あなたは日本サッカーが好きですか?日本サッカーが好きだという人をどう思いますか?本当のサポーターならば、日本サッカーを支持することを光栄と思うでしょうか?」と問う調査を実施した。中国代表よりも日本代表を支持するとの回答も多く、日本の勝利を望むと答えた著名人も多かった。大きな変化だと言えよう。
ギリシャに2対0と勝利した韓国に日本メディアはエールを贈った。時事通信社は韓国の勝利は日本代表の士気を高め、カメルーン戦の勝利につながったと評したほど。中国人も今、日本代表を支持している。日本の勝利は中国サッカーの自信にもつながるからだ。次回W杯のアジア出場枠増加も日本と韓国の成績にかかっているのだ。そしてそれ以上に重要なのは、日本への応援は中国人の度量を示すことでもある。これもまたW杯の魅力であろう。(翻訳・編集 /KT)
2010-06-19 06:08:41 配信(レコードチャイナ)
もし日本のサッカー選手たちに中国人を見下すような気持ちがあったら、「試合後、日本代表の選手たちはたった1回の拍手も声援も送ることがなかった中国人観客の前に整列し、深々と一礼した。」などといった態度は取れなかったことでしょう。このほんの3年前、2005年の4月には、北京などで反日デモがありました。上海ではデモ隊が暴徒化して、日本料理店や日系のコンビニエンスストアに対する破壊や放火、上海日本領事館に対する投石や破壊活動をおこなって、中国の警察隊も出動はしましたが、暴徒を止めることまではせず、ただ見ていただけでした。こんなことがあったにも関わらず、私たち日本人は決して報復などしませんでした。日本人って、まるで全員ガンジーみたいですよね。
1999年9月21日に起きた台湾の921大震災のとき、救助に当たった日本の救助隊員たちが、瓦礫の中から生存者を救助できなかったことを大変に申し訳なく思って、家族の救出を待っていた台湾の人たちに、大変に申し訳なかったとお詫びをしたこともありました。
そのような日本人の態度に対して台湾の人々も強く心を打たれて、もちろんあなた方が悪いわけはない、本当にがんばってくれた、ありがとうございましたと、涙、涙でお礼を言ったということです。
「見下そう」などといった姿勢、態度(上から目線)さえなければ、そして日本人本来の実直さ、誠実さが発揮できれば、中国、韓国、台湾、フィリピン、インドネシアなどなど、日本と大きな関わりをもつ国々の人々から、現代の日本と日本人を正しく理解してもらうことができるようです。
2010年6月18日金曜日
きれいごとは言いません。(差別問題)
特にご年配の男性に多いのではないかと思いますが、私たち日本人の中には、中国人や韓国人と聞くと嫌悪感(あるいは見下してやりたい気持ち)をもつ人がいます。
戦前、戦後と、日本人と韓国人、日本人と中国人との間には、いろいろと不幸な衝突がありました。たとえば関東大震災当時の新聞を見ますと、しばしば「鮮人」という文字が踊っています。震災のどさくさに紛れて、見下すべき韓国人が暴動を起こしたといった記事が紙面を賑わしていたのです。
日本人が韓国人を見下す感情については、日本人による日本語の新聞紙面に「鮮人」といって韓国人を蔑視するような用語を平然と使用していることからもわかります。どうやら当時は、日本人が日本人以外のアジア人を見下すことは何の罪悪感もない普通の感情だったようです。
台湾の原住民に対しても、「蛮人」という言葉を当たり前のように使っていたのが日本の新聞です。そういった見下す態度が日本人に共通して当たり前の認識であったことは確かです。
さらに当時の朝鮮総督府や日本の軍隊でも、無用の反感を煽らないために「鮮人」「朝鮮人」という呼称を使用しないよう指導していたそうですから、その呼称が蔑称として使用されていたことは、この事実からも明らかです。仮に「朝鮮人」は普通の用語だったとしても、悪意を込めて使ったために蔑称と化してしまったということなのです。
韓国人が日本人に反感をもっていたということ以前に、日本人の側が差別感情を隠そうともしていなかったというのが事実なのです。
ここで日本の祖父たちを弁護するとすれば、日本には独特の人間関係があったためだということと、それが韓国人には決して理解されなかったためだということもあります。
たとえば奉公制度や徒弟制度です。日本人同士の中にも、身分の上下関係というものは厳然とあり、若い者や新米には発言権などといった権利はなくて当たり前、今の価値観でいうところの人権すらなくて当たり前、そんな当たり前の中でひたすら辛抱に辛抱を重ねて努力と忍耐を積み上げ、やがては一人前の人間として認められるようになっていく。これを日本独特の人間関係だとして、これこそが日本の常識だったとすれば、祖父たちは、新しく日本に加わってきた台湾人や韓国人に対しても、日本人の新米に対するのと同様に厳しく接したはずです。「早く一人前の日本人になれ、そうすることがお前の幸福だ。」そのような態度で接することが、むしろ相手を人間として扱うことになるのだと。そのような認識があったとすれば、祖父たちに悪意はなかったことになります。祖父たちにあったのは、あくまでも善意だったといえるのかもしれないということです。
しかし問題は、悪意か善意かではありません。差別される側に立つ人自身が、日本人から見下されたと感じるかどうかが問題なのです。そしてはっきりと、彼らは見下されていると感じていたはずなのです。特に韓国人は、ほとんどの人たちが「自分は貴族階級の出身」と信じていたという説もありますから、平民にすぎない日本人に尊大な態度をとられることは、耐え難い屈辱だったはずです。
もちろん、韓国人や台湾人の側からも、日本人に対する蔑称(「쪽발이」など)があったり、差別的な感情があったことも事実ですが、政治的な力関係において、日本人がはっきりと優位にあり、支配者だったわけですから、日本人が韓国人を差別するという見方はできても、その逆については、差別でなく抵抗であったということで正当化されやすいことになってしまいます。
つまり、権力の側にある者には、権力を行使する資格という点で、常に重い責任を負っていたわけです。
日清・日露の戦争に勝利し、にわかに植民地を支配する立場に立たされた日本人は、一日も早くその責任の所在に気付かなければならなかったわけですが、それに気付く前に、日本は敗戦を迎えてしまいました。
「日本人は全然反省していない!」などと怒られることがありますが、「反省しろ!」と言われて、闇雲に「わかりました、反省します! 謝罪します!」と答えるのではなく、いったい何が間違っていたために、ここまで恨まれることになったのかを知る努力が必要でしょう。
支配者としての責任を自覚するより先に、戦争に負けて全てを失ってしまったのが、私たち日本人です。その全ての中には、過去の多くの事実を知る機会も含まれているようです。
戦前、戦後と、日本人と韓国人、日本人と中国人との間には、いろいろと不幸な衝突がありました。たとえば関東大震災当時の新聞を見ますと、しばしば「鮮人」という文字が踊っています。震災のどさくさに紛れて、見下すべき韓国人が暴動を起こしたといった記事が紙面を賑わしていたのです。
日本人が韓国人を見下す感情については、日本人による日本語の新聞紙面に「鮮人」といって韓国人を蔑視するような用語を平然と使用していることからもわかります。どうやら当時は、日本人が日本人以外のアジア人を見下すことは何の罪悪感もない普通の感情だったようです。
台湾の原住民に対しても、「蛮人」という言葉を当たり前のように使っていたのが日本の新聞です。そういった見下す態度が日本人に共通して当たり前の認識であったことは確かです。
さらに当時の朝鮮総督府や日本の軍隊でも、無用の反感を煽らないために「鮮人」「朝鮮人」という呼称を使用しないよう指導していたそうですから、その呼称が蔑称として使用されていたことは、この事実からも明らかです。仮に「朝鮮人」は普通の用語だったとしても、悪意を込めて使ったために蔑称と化してしまったということなのです。
韓国人が日本人に反感をもっていたということ以前に、日本人の側が差別感情を隠そうともしていなかったというのが事実なのです。
ここで日本の祖父たちを弁護するとすれば、日本には独特の人間関係があったためだということと、それが韓国人には決して理解されなかったためだということもあります。
たとえば奉公制度や徒弟制度です。日本人同士の中にも、身分の上下関係というものは厳然とあり、若い者や新米には発言権などといった権利はなくて当たり前、今の価値観でいうところの人権すらなくて当たり前、そんな当たり前の中でひたすら辛抱に辛抱を重ねて努力と忍耐を積み上げ、やがては一人前の人間として認められるようになっていく。これを日本独特の人間関係だとして、これこそが日本の常識だったとすれば、祖父たちは、新しく日本に加わってきた台湾人や韓国人に対しても、日本人の新米に対するのと同様に厳しく接したはずです。「早く一人前の日本人になれ、そうすることがお前の幸福だ。」そのような態度で接することが、むしろ相手を人間として扱うことになるのだと。そのような認識があったとすれば、祖父たちに悪意はなかったことになります。祖父たちにあったのは、あくまでも善意だったといえるのかもしれないということです。
しかし問題は、悪意か善意かではありません。差別される側に立つ人自身が、日本人から見下されたと感じるかどうかが問題なのです。そしてはっきりと、彼らは見下されていると感じていたはずなのです。特に韓国人は、ほとんどの人たちが「自分は貴族階級の出身」と信じていたという説もありますから、平民にすぎない日本人に尊大な態度をとられることは、耐え難い屈辱だったはずです。
もちろん、韓国人や台湾人の側からも、日本人に対する蔑称(「쪽발이」など)があったり、差別的な感情があったことも事実ですが、政治的な力関係において、日本人がはっきりと優位にあり、支配者だったわけですから、日本人が韓国人を差別するという見方はできても、その逆については、差別でなく抵抗であったということで正当化されやすいことになってしまいます。
つまり、権力の側にある者には、権力を行使する資格という点で、常に重い責任を負っていたわけです。
日清・日露の戦争に勝利し、にわかに植民地を支配する立場に立たされた日本人は、一日も早くその責任の所在に気付かなければならなかったわけですが、それに気付く前に、日本は敗戦を迎えてしまいました。
「日本人は全然反省していない!」などと怒られることがありますが、「反省しろ!」と言われて、闇雲に「わかりました、反省します! 謝罪します!」と答えるのではなく、いったい何が間違っていたために、ここまで恨まれることになったのかを知る努力が必要でしょう。
支配者としての責任を自覚するより先に、戦争に負けて全てを失ってしまったのが、私たち日本人です。その全ての中には、過去の多くの事実を知る機会も含まれているようです。
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