2010年5月22日土曜日

南アフリカと日本の現状

いよいよ6月11日から、サッカーワールドカップの南アフリカ大会が始まります。

初日の第一試合は南アフリカ対メキシコの試合で、NHK総合テレビでも放送されます。サッカーファンには眠れない日が続きますね。

筆者も南アフリカには行ったことがありませんので、基本的な情報を拾い出してみます。

まず人口は、4932万人。最大の都市はヨハネスブルグ。首都は、司法:ブルームフォンテーン、行政:プレトリア、立法・ケープタウンと、三か所に分かれています。

南アフリカといえば、かつては合法としての人種差別主義「アパルトヘイト」で有名で、白人だけに特権があって、黒人および有色人種とされる人々には入ってはいけない場所がたくさんあったようです。また、義務教育というものがなかった黒人は教育水準が低いまま、アパルトヘイトはすでに撤廃されている21世紀の現代でも大きな人種間格差の原因になっているそうです。

そしてよく報道される深刻な問題として、エイズの蔓延と治安問題があります。

HIV感染率は、国民の4〜5人に1人ということで、これには迷信による強姦も原因となっているそうです。つまり、エイズ感染者の男女は健康な処女、あるいは男子と性交すれば完治するというデマが信じられていたというんですね。まったく恐ろしい話です。

強姦については、南アフリカの男性のなんと27パーセントが強姦(レイプ)したことがあると答えているという調査もあるそうです。

強盗や殺人は、犯罪者が自動小銃を所持しているなど、警察力では対応しきれないケースも多いそうです。強盗や殺人も日常茶飯事で、道徳観が世界的にも最悪レベルとなっているんでしょう。人を殺すことや、人の物を奪うことに罪悪感を感じないような凶悪な犯罪者が蔓延っているようです。

日本の外務省による「海外安全ホームページ」によれば、「首絞め強盗」というグループによる強盗が白昼の人通りの多いところでも発生しているそうです。また、高級ホテルだからといって安心することもできないそうで、ホテルの従業員が女性客を強姦したり、犯罪者を誘導したりといった、とても考えられないような事件も多発しているようです。

普段からこんな恐ろしい国ですが、ワールドカップ開催中はさらに治安が悪化するだろうという見方もあるそうですから、日本代表を応援に渡航を考えておられる方には、どうかご無事でと祈るしかありません。

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地球の裏側にもどって私たちの日本。まあなんと平和なんでしょう。

沖縄は自国の領土だと考える大国がすぐそこの大陸にあってものすごい経済成長を続けていたり、停戦協定があるというのに魚雷で多数の若い兵士の命を奪い「全面戦争だ!」とわめいている独裁国家がすぐそこにあったりしますが、沖縄に米軍がいてくれる限り、私たち日本人は安穏と暮らすことができます。米軍に出ていってもらうためには、日本国憲法を考えなおさなければなりませんが、有権者の多くにはそんなつもりもなさそうですね。

とにかく平和な日本です。総理大臣に虚言癖があるなど、政治的にもやばい状況ですが、一番の問題は景気が悪いことでしょうか。それもぼちぼち上向きとの見方もありますが、良くも悪くも中国が経済大国になってくれているおかげで、買いたいものがなくなっている私たちでも辛うじて収入を得られるようなところもありますから、大勢の景気の良い人たちに遊びに来てもらって、たくさんお金を落としていってもらえるようにがんばりたいですね。

2010年5月10日月曜日

下り最速内閣

民主党政権、鳩山由紀夫内閣の支持率が「下り最速」と言われています。自動車のラリーなどで、下り坂を一番速く走るのが一番偉いという意味のようですが、内閣支持率が「下り最速」では「偉い」とは正反対で大いに恥ずかしいことです。NHKの世論調査でもついに20%にまで下がってしまいました。

鳩山総理という人はどうやら虚言癖があるようで、言うことがころころ変わります。アメリカのオバマ大統領に

「私を信じろ。」

と言ったそうですが、アメリカ大統領はおろか、もはや日本国民のほとんどから全く信用されていません。お母さんから毎月1500万円という莫大な金額のお小遣いをもらい続けていて「知らなかった」というのも、この分では間違いなく嘘でしょうから、「脱税総理」の異名も的を射ています。つまり正真正銘、犯罪者でもあるわけです。

とまあ、こんな話を公の場でできてしまうのも、日本という国が自由主義の国であるおかげです。アメリカや西欧諸国のように、こんな自由を謳歌できるのも、日本が中国や北韓国のような社会主義の政治体制にはないおかげです。

中国へ行ったら、政治体制を批判するような会話はできません。実際に中国へ行ってインターネットをつないでみますと、まず YouTube が表示されません。 YouTube にはありとあらゆるビデオがアップされていて、世界中のあらゆる言論が行われていたりしますので、その中には中国共産党を批判するものや、チベットの独立を支持するものも含まれています。中国当局には都合の悪いビデオがたくさんあるわけですから、一般の中国人がそれを見て、共産党政権を批判する材料を得たりすることは政治体制の維持にとってはよろしくないというわけです。だから YouTube は当局が人民に見せないように接続を遮断しているわけです。そういうことを検閲といいます。

それが日本では何でも見ることができます。日本の現職の総理大臣や政治体制を批判したりバカにしたりすることも許されています。さらには天皇陛下を批判したとしても逮捕されることがありません。

ようこそニッポンどっと混むの中国人スタッフは、日本のこういった自由さに疑問を持っています。

「仮にも自分の国で一番偉い人なんだから、バカにするのはおかしいんじゃないですか?」

そんなことを言っています。もとから日本人の筆者は彼にそう聞かれて、「うん、まあ、そうかなぁ?」ぐらいしか答えないのですが、国が変わればいろんな常識に違いがあって、中でも政治や宗教の話題は、友好どころか対立の原因になることこそが多いものです。

政治の話はそれぞれ国内だけにとどめるものですね。たとえ自分の国の政治を批判するにしても、それを旅行先の海外でやったり、日本に来ている外国人相手にやれば、誤解されることだってあるかもしれません。

2010年5月1日土曜日

人類共通の原則

人類が何万年を生きてきたのかよくわかりませんが、その何万年かの間には、様々な生き方というものがあったと思います。

様々な生き方の中には、ある種の信仰があったりして、その信仰を基本にした生き方があったでしょうね。

一方で、支配する者とされる者という図式があったりして、そこには信仰だけでなく、政治や、人工的な原則が行われたりもしています。

そんなこんなで、私たち人類は、いかに生きるべきかという問題を、あれこれと複雑にしてきたようなところがあると思います。

いかに生きるか。この問題、実はとっても単純だったものです。どう考えれば単純に立ち返ることができるでしょうか。ちょっと考えてみてください。

子供は成長してだんだん大人になります。オスはメスが欲しくなって、メスもオスが欲しくなって結婚というか、後尾をします。そこにまた子供が生まれますが、生まれた子供は親になったオスとメスが育てることになります。乳をやったりして育ててやらないと、生まれてもすぐに死んでしまうんですから、育てないわけにはいきません。

そうやって、親子、家族という、とても小さな人の集まりができます。親は自分の食事を我慢してでも子供に食事を与えますが、そうした姿というのは誰の目にも美しく映り、それがもし逆で、子供が食べようとしているものを親が横取りして子供を飢え死にさせるようなことがあれば、それは誰の目にも大変に醜悪に映ります。

このようなことは、いつの時代でも、どこの国や民族でも、いつも共通の価値観です。

しかもこれこそが、誰でもいつでも絶対に共通する価値観ですから、この価値観の中にこそ、人類共通の原則があるはずです。

また、人類というのは言葉をもっています。言葉というのは、相手を必要とするものです。いっしょに暮らす他者があるからこそ、言葉が必要になるのであって、もし誰もいなくて自分ひとりだったら、言葉なんてものは必要なくなってしまいます。

もちろん通じない言葉もあります。海をわたったり山を越えたりすれば、全然通じない言葉を使っている人々がいます。しかしそれでも、通じないその言葉をなんとかして理解できるようになりたいと思うのが、私たち人類に共通の人情であるはずです。それは誰でも初めは赤ん坊で言葉というものを知らず、親や兄弟や隣人から言葉を習得してきたからでもあります。

ここにもまた、共通の原則があります。

共通の原則には、宗教や政治といった排他的な言動を生じさせうる思想はありません。宗教思想や政治思想は、本来あったはずの原則とは別の方法で集団を統率しようとするものですが、そうした思想に対して私たちは、全人類共通の原則を排除する危険性がないかどうか、しっかりと監視する義務を負うはずです。

全人類共通の原則とは、共存です。共に生きるというのが共存です。難しく考えるときりがありませんが、とにかく他者を排除せず、とにかく共に存在を認め合い、互いの存在を肯定しましょうという心があれば良いのだろうと思います。

文化が違う、言葉が違う、習慣が違って、道徳観もちょっと違う。「だから排除しよう」という結論を出すのではなくて、「だったらどうやって共存しようか」という知恵を出すこと。それが私たちみんなに求められているのではないでしょうか。


追記

誤解のないように書いておきますが、民主党政権で行われようとしている外国人参政権とか、外国に住んでいる子どもたちへの無制限な子ども手当などを支持するつもりは、筆者にはまったくありません。

国家は国民の家です。自分の家は自分の家であって、となりの人が好きに使って良いということがないのと同じです。

自分の家は隣の家と共存するべきもので、国家も隣国と共存すべきものでしょう。

個人があって集団があります。集団があって、国もあります。個人は個人と共存し、集団は集団と共存し、国は他国と共存するのが共存の原則でしょう。

自分の家を他人に明け渡さなければならないとか、国家の財産を外国人に明け渡さなければならないとかいった思想があるとすれば、それは明らかに間違っていると思います。