特にご年配の男性に多いのではないかと思いますが、私たち日本人の中には、中国人や韓国人と聞くと嫌悪感(あるいは見下してやりたい気持ち)をもつ人がいます。
戦前、戦後と、日本人と韓国人、日本人と中国人との間には、いろいろと不幸な衝突がありました。たとえば関東大震災当時の新聞を見ますと、しばしば「鮮人」という文字が踊っています。震災のどさくさに紛れて、見下すべき韓国人が暴動を起こしたといった記事が紙面を賑わしていたのです。
日本人が韓国人を見下す感情については、日本人による日本語の新聞紙面に「鮮人」といって韓国人を蔑視するような用語を平然と使用していることからもわかります。どうやら当時は、日本人が日本人以外のアジア人を見下すことは何の罪悪感もない普通の感情だったようです。
台湾の原住民に対しても、「蛮人」という言葉を当たり前のように使っていたのが日本の新聞です。そういった見下す態度が日本人に共通して当たり前の認識であったことは確かです。
さらに当時の朝鮮総督府や日本の軍隊でも、無用の反感を煽らないために「鮮人」「朝鮮人」という呼称を使用しないよう指導していたそうですから、その呼称が蔑称として使用されていたことは、この事実からも明らかです。仮に「朝鮮人」は普通の用語だったとしても、悪意を込めて使ったために蔑称と化してしまったということなのです。
韓国人が日本人に反感をもっていたということ以前に、日本人の側が差別感情を隠そうともしていなかったというのが事実なのです。
ここで日本の祖父たちを弁護するとすれば、日本には独特の人間関係があったためだということと、それが韓国人には決して理解されなかったためだということもあります。
たとえば奉公制度や徒弟制度です。日本人同士の中にも、身分の上下関係というものは厳然とあり、若い者や新米には発言権などといった権利はなくて当たり前、今の価値観でいうところの人権すらなくて当たり前、そんな当たり前の中でひたすら辛抱に辛抱を重ねて努力と忍耐を積み上げ、やがては一人前の人間として認められるようになっていく。これを日本独特の人間関係だとして、これこそが日本の常識だったとすれば、祖父たちは、新しく日本に加わってきた台湾人や韓国人に対しても、日本人の新米に対するのと同様に厳しく接したはずです。「早く一人前の日本人になれ、そうすることがお前の幸福だ。」そのような態度で接することが、むしろ相手を人間として扱うことになるのだと。そのような認識があったとすれば、祖父たちに悪意はなかったことになります。祖父たちにあったのは、あくまでも善意だったといえるのかもしれないということです。
しかし問題は、悪意か善意かではありません。差別される側に立つ人自身が、日本人から見下されたと感じるかどうかが問題なのです。そしてはっきりと、彼らは見下されていると感じていたはずなのです。特に韓国人は、ほとんどの人たちが「自分は貴族階級の出身」と信じていたという説もありますから、平民にすぎない日本人に尊大な態度をとられることは、耐え難い屈辱だったはずです。
もちろん、韓国人や台湾人の側からも、日本人に対する蔑称(「쪽발이」など)があったり、差別的な感情があったことも事実ですが、政治的な力関係において、日本人がはっきりと優位にあり、支配者だったわけですから、日本人が韓国人を差別するという見方はできても、その逆については、差別でなく抵抗であったということで正当化されやすいことになってしまいます。
つまり、権力の側にある者には、権力を行使する資格という点で、常に重い責任を負っていたわけです。
日清・日露の戦争に勝利し、にわかに植民地を支配する立場に立たされた日本人は、一日も早くその責任の所在に気付かなければならなかったわけですが、それに気付く前に、日本は敗戦を迎えてしまいました。
「日本人は全然反省していない!」などと怒られることがありますが、「反省しろ!」と言われて、闇雲に「わかりました、反省します! 謝罪します!」と答えるのではなく、いったい何が間違っていたために、ここまで恨まれることになったのかを知る努力が必要でしょう。
支配者としての責任を自覚するより先に、戦争に負けて全てを失ってしまったのが、私たち日本人です。その全ての中には、過去の多くの事実を知る機会も含まれているようです。




