
世界には、とても強烈な宗教があって、宗教ゆえに争いがあったり、楽しみがあったりしています。
争いだけ見ていると、宗教なんて要らないんじゃないかと思えます。ジョン・レノンの「イマジン」にも歌われるように、宗教のないことが、世界平和の条件になるということもあるのかもしれません。
一方で、キリスト教のクリスマスや、イスラム教のメッカ巡礼などを見ると、宗教が人間を幸福にする条件として必要なことのようにも思えます。
宗教は恐らく、必要なことでもあり、同時に不要なことでもあるんでしょう。どちらか一方を正しい結論とすることは、現時点ではまだ、できません。
ただひとつ問題があるとすれば、そのあたりのことについて、相互理解に向けた意識をもつための議論がなかなか進められないことでしょうか。
世界的に見れば、議論は十分に進んできているという見方もできるかもしれませんが、私たち日本人は、そうした問題について、あまりに無頓着な面があります。
「宗教?」と聞いて、「悪いもの」あるいは「良いもの」といった、個人的な漠然とした感じ方はもっていたりしますが、それもぼんやりとした印象から来るものでしかなくて、真剣な議論をしたことがあるという人は、恐らくごく少数でしょう。
「日本人は神道だ!」という声も聞きます。一方で「仏教だ!」という声もあるでしょう。あるいはまた、「仏教と神道の両方あってこそ、日本の宗教だ!」という声も当然あります。
つまり、「日本人の宗教って何?」という基本的な質問に対しても、簡単な答えが出せずにいます。
仏教も神道も、私たちの生活に密着していたりしますが、一方でクリスマスを祝い、教会式の結婚式を挙げたりもしていますから、「要するに何?」と聞かれたら「何でもありの何でも教ですよ、」というのが本当のところなんですね。
別の言い方をすれば、「日本人はどんな宗教でも信じる。」というのがひとつの事実です。
もっとも、日本国内に見かける機会の少ないイスラム教やヒンズー教、ユダヤ教などについては、私たちはほとんど何も知りませんから、知らない宗教まで信じているわけではないのですが、それも一度身近に見たり経験したりすれば、「そういうのもありなんだ!」と思って、決して排除しない、謙虚な姿勢で受け止めることができます。それが「ニッポン何でも教」の良いところです。
例えばイスラム教とユダヤ教は、互いに相手を悪い宗教だと決めつけて、殺し合いを続けていたりします。それはもう深刻な問題で、親から子へと、相手の悪いところを徹底的に教えたりもするでしょうから、外部から和解を求めても、双方ともに聞く耳を持ちません。もっと昔には、キリスト教とイスラム教の対立や殺し合いもありました。
また、同じイスラム教やキリスト教でも、宗派対立なんてものがあります。日本でいえば、曹洞宗と日蓮宗で喧嘩するような話ですから、ちょっとあり得なくて、私たち日本人には理解できない話です。
そんな何でも教の私たちですが、これが戦前までは、国家神道という宗教の強制を経験したこともあります。そんな話は聞いたことがないと思われる方は、護国神社や靖国神社を思い出してください。
ここ静岡市にも、護国神社があります。戦死した英霊たちを慰めるための神社ですね。
国家神道を「宗教の強制」と書いてしまいましたが、正しくは「政治による宗教」ということになります。宗教に政治が関わったというよりも、政治によって今までなかった神社を全国に作ったんですね。新しい神社がたくさんできたというわけです。
それまでの神道は、いたってアニミズムというか、日本古来の素朴な信仰によるものだったわけですが、靖国神社や護国神社は、戦死した人々のためという政治的な目的がありましたから、今の日本国憲法の原則である「政教分離」ではないところ、つまり政治主導によって、宗教的な活動が始められたということです。
もっとも過去に仏教が入ってきて盛んになったことなども、もとはといえば、政治的な意向で始まっているものも多いでしょうから、政治主導の宗教を好ましくないことと見るのは、近代以降の傾向にすぎないということも言えるかもしれません。しかしながら、政治権力が宗教を主導することが、人々の幸福に貢献して来たとは言えないというのが、現代に至っての結論になっていますから、もし護国神社や靖国神社に、政治的な色彩が色濃く残っているのだとしたら、それは決して好ましいことではないということになってきます。
上に掲載した写真は、静岡護国神社での、筆者の次女の七五三の様子です。(2002年11月4日撮影)
こんな平和な写真を見る限りは、護国神社に政治色はなくなったと思えるところですが、静岡には他にも浅間神社など、近代以降の政治とは無縁な神社もあります。それをわざわざ護国神社に子供を連れて行って七五三を祝う親(筆者)がいるというのは、次の二つのうちのどちらかだということになります。
1 親が政治的な理由で護国神社を好んだ。
2 戦後半世紀以上経って護国神社から政治色がなくなったから子供を連れて行った。
まったく反対になる二つの見方ですが、さあどっちなんでしょう?
お正月、初詣で神社に行かれた方は多いと思います。日本人の宗教について、ちょっと考えてみるきっかけになれば幸いです。




