今回は、皆さんもよくわかっている当たり前のことを書きます。その当たり前を再認識することが、異文化な人たちや世界の国々と、うまく付き合っていくことができるようになると思うからです。
人や国に、点数や優劣を決めること、それ自体は仕方ないことかもしれません。現実として、食べ物が捨てるほどある国がある一方で、食べ物がなくて餓死する子供がいる国があります。他国に寄付するほどお金がある国がある一方で、他国からお金をもらわないとやっていけない国があります。個人で見ても、やはり同じことがいえます。優劣の決められないのは、精神面の問題でしょう。お金があっても笑顔のない人もいるでしょうし、お金がなくても心がきれいな人はいくらでもいます。でもそれは、数字には表せません。どっちの方が心が豊かか? という質問に答えることはできないんですね。だからどうしても、数字に表れてはっきりしていることに認識が向かってしまいます。
いずれにしても、数字に表れて「優れている」とされる国は、「劣っている」とされる国に対して、偉そうな態度は取らないことが大事でしょう。謙虚な金持ちは人々から尊敬されますが、偉そうな金持ちは人々から嫌われます。
国家として、国益を追求することは当然のことだとされています。アメリカがベトナムやアフガニスタンやイラクに派兵することも、ベトナムやアフガニスタンやイラクのためというよりも、やはり自国の利益のためだと見るのが一般的です。これは家庭についてもいえることで、自分の子供を良い学校にやりたいという気持ちはあっても、わざわざ隣の家の子を応援することは稀です。自分の家の得にならないことは普通やらないわけです。
かといって、自国の利益追求が、あまりに露骨だったり下品だったりすれば、それはやっぱり嫌われます。嫌われないように、相手のことを常に気にしてがんばる。ということが必要なんでしょうね。
日本人の中には、アメリカやヨーロッパから来た人にはあまり偉そうにしなくても、近隣諸国から来た人に対して、とても偉そうな態度で接する人がいます。これは実際に日本に住んでいる中国人や台湾人や韓国人が、平成の現代でも実感していることです。
福沢諭吉が「脱亜入欧」とやったのが原因でしょうか。明治時代、日清戦争で勝利して1895年に台湾を植民地にし、日露戦争にも勝利して1910年には韓国を併合して、1932年には、中国の東北地方に満州国を「建国」しました。
そのようにして、日本は中国や韓国に対して、はっきりと優位に立ちました。軍隊も強くて、飛行機や戦艦を作る技術でも欧米に負けていないということで、中国や韓国は遅れているという認識ができてしまったということがあります。フィリピン、インドネシア、インドシナ半島などに対しても同じです。日本が競った相手は欧米列強であって、「大東亜共栄圏」という構想の中に含まれたアジアの国々ではなかったんです。アジアの国々に独立をもたらしたことも事実でしょうけれども、それら国々と対等な立場にはなかったことも事実です。
私たちのおじいさん、ひいおじいさんたち日本人は、そのようにはっきりと「日本が優れている、まさっている」という認識をしたわけですが、そこで偉そうな態度を見せた場合に限って、相手からひどく嫌われてきたはずです。
一方で、決して偉そうにはせず、周辺諸国の人々に対して誠意をもって接してきた人は尊敬されています。台湾で大規模な農業改革をおこなった八田與一などが良い例でしょう。現在でも、台湾の国民ばかりでなく政府からも尊敬されています。




